富士物産ものがたり


挑戦の数だけ、感動が生まれる。

 
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富士物産は44年前、現在は会長を務める関口 博が創業いたしました。おかげさまで今はたくさんのお客様と取引していただいているものの、創業当初はまだ誰も知らない、本当に小さな作業所でした。今日に至るまでの当社の歩みを紹介させていただきます。

 
 
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釣りに救われた幼少時代。釣りにハマった青春時代。
すべては、ここから始まりました。

 

当社の創業者である会長の関口は、昭和15年、東京の新宿で5人兄弟の次男として生まれました。幼少期には母の実家である栃木の田舎に疎開し、そこで父と一緒に、タンパク源となる川魚を取って家の仕事を手伝いました。戦時中の貧しい暮らしのなかで、父と精を出した清流での魚釣りは、少しばかりの楽しいひとときとして関口の心に残っています。
 
戦争が終わりしばらくして、やんちゃな高校生になった関口は、小さいころに体験した釣りの面白さにどんどんのめり込んでいきました。関東のいろいろな川や池、釣り堀に出かけては魚釣りに夢中になる青春時代。根っからの趣味はついに仕事となり、大学卒業後は釣り雑誌の海外特派員として、国内外各地を取材して回るようになります。

 
 
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魚を味わう愉しさを知った20代。
人生を変えた、デンマークでのある出来事。

 

20代の関口は魚釣りだけでなく、魚を味わう愉しさも覚えました。彼の人生を変えるできごとが起こったのは、雑誌取材で訪れたデンマークです。それまで「苦くて、辛くて、臭くて、硬い」ものだと思い込んでいたスモークサーモンが、デンマークでは柔らかくて香りがよく、舌触りもなめらかで、あっさりと、でもピリッと心地よい辛さだったのです。「こんなに美味しいスモークサーモンを日本の人たちにも食べさせたい」と関口は堅く決意しました。
 
しかし、そこからの道のりは極めて困難でした。今から50年も前の日本ですから、スモークサーモンのつくり方など、どの本を調べても載っていません。デンマークで衝撃を受けた美味しさの記憶だけを頼りに、大学ノートにレシピを書き、機械屋さんと一緒にスモーカーを製作し、ゼロから試行錯誤するしかありませんでした。
 
数ヶ月間失敗を繰り返した末、ついに関口は完全オリジナルの初代スモーカーを完成させます。そして、その後数年かけて改良を加え、自分が本当に納得のいく、美味しいスモークサーモンがつくれるオリジナルスモーカーを開発しました。「まだ誰もやっていないからこそ、本当にやれば一番になれる」そんな想いだけが励みだった関口の努力は、ついに実を結びました。

 
 
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「How to Smoke」の第一人者として、引っぱりだこ。
「美味しい!」という声に励まされ、ついに会社設立。

 

「美味しいねえ、これ。うちでも使いたいんだけど」
関口がオリジナルのスモーカーでつくったスモークサーモンは好評を呼び、業界で有名な一流シェフや、グルメのお客様が集まるお店などから、口コミで声がかかるようになりました。
 
また、NHK「男の料理」という番組でスモークサーモン(How to Smoke)の初代講師を務めたり、料理教室で教えたり、スモークサーモンのハウツー本を書いたりもしました。「これだけ喜んでいただけるなら、スモークサーモンづくりはビジネスになるかもしれない」そう考えた関口は、30代半ばで、ついに人生の一大決心をします。それが富士物産の設立です。
 
しかしそこからが、本当の困難の始まりでした。お客様は舌の肥えたプロばかり。味に妥協はできません。そして何より衛生第一です。自社開発した当時のスモーカーは、現在のものと比べれば、明らかにロースペック。大量の注文に応え、会社として利益を出すためには、圧倒的な性能向上が必要だったのです。

 
 
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高品質のスモークサーモンづくりを日夜研究。
マリネやエスカベッシュにも挑戦した80年代。

 

高品質のスモークサーモンを一枚でも多くつくるため、研究に研究を重ね、また休むことなく生産を続けました。夜中に作って昼間に売る。ゆったり休む間もないそんな日々が、関口と関口の妻、そして当時まだ数少ないスタッフのなかで何年も続きました。
 
確かに体力的にはきつかったものの、心が「辛い」と根を上げることは、不思議なことにありませんでした。「自分たちこそ最高級のスモークサーモンを日本中に提供してみせる」という密かなプライドに、支えられていたからかもしれません。
 
日本人の生活レベルが一気に向上し、バブル景気にも沸いた80年代。富士物産のスモークサーモンは、ホテル・レストラン業界において着実に知名度が高まり、多くの方に召し上がっていただけるようになりました。また、マリネやエスカベッシュなど別のメニューにも挑戦し、取扱製品の幅を広げました。

 
 
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90年代、2000年代、さらに事業拡大。
昔も今も、美食の感動を伝え続ける会社であること。

 

その後90年代には、エアライン向けの製品開発をスタートしました。日本を代表する航空会社の機内メニューに、富士物産の味が並ぶようになります。さらに2000年にはデザート、2002年には創作寿司の開発もスタートしました。
 
そして現在は、富士物産の“礎”ともいえるフランス料理の伝統と技法をベースにしながら、最先端の美食トレンドを取り入れ、フレンチやイタリアン、和食など様々なジャンルのお料理を彩り豊かに提供しています。
 
このように当社は、スモークサーモンづくりにはじまり、進化する時代とお客様のニーズに即応するかたちで事業を拡大し、会社を成長させてきました。今後も引き続き日本のお客様にはもちろん、海外のお客様にも富士物産の美味しさを届けるのが目標です。
 
ガストロノミー(美食)の道に終わりはありません。辛く厳しくても、チャレンジし続ければ、その先に新しい感動や幸福が生まれます。これまでもそうでしたし、きっとこれからもそうだと思います。富士物産の挑戦はまだまだこれから。食べることで得られる感動や幸福を、もっと多くの方に味わっていただけるよう、常に新しいアイディアを追求しながら、当社独自の技術とノウハウを進化させ続けます。どうぞご期待ください。